近藤 伸夫

2018年5月30日2 分

いい加減にしなさい。

日大アメフト部の会見しかり、国会での答弁しかり、あまりにも自己保身のための「ウソ」が多いと思いませんか?。1976年ロッキード事件時の 小佐野賢治氏の国会での「記憶にございません」発言をきいていて、これで国会証人喚問を乗り切ったのなら、あとあとこれが禍根を残すことになるだろうと思っていましたが、「記憶にない」ことが大流行。記憶にあるのに記憶にないといえば罪であります。子供が若者が見ているのですよ。範を示すべき国の代表や大学の代表がそんなことをしているのでは、次の世代が同じようなことをしたならば貴方がたの責任ではありませんか? いったいいつから私たちのリーダーが自己保身のためにウソをいうようなことになってしまったのでしょうか?

「ウソは方便にあらず」

私たちは、あのような方たちを反面教師として、正直に生きることが大事です。私も以前はウソをいうことが多くあったように思います。それは特に女性関係であり、パートナーにウソをついて他の女性とデートしたりもしていました。しかし、ウソをついて生きているとストレスもたまりますし、嘘が嘘をよんでばれないように生活するために疲れてしまいます。

幸い現在のワイフと暮らすようになって、彼女にありのままを見せるようになって心が一変して楽になりました。

ウソをつかんずに生活することも、かなり辛いこともあるでしょうが、少なくともウソをつくに起因するであったであろう事柄を自分はわかっていて、それを許しているのですから、他の誰かも許してくれるかもしれません。なんでも正直に話したりするような生き方は、摩擦を呼ぶこともありますので「ウソも方便というじゃないか」などと反論する方もいますが、もともと仏教で認められている方便に「ウソ」は入っていませんし、人からどう思われようが自分が好きなら自分にも他人にも正直であるべきです。もう一度言います。大人がそれも国民の範となるべき立場の人たちは決してウソなど言ってはなりません。ましてや自己保身のためにウソをつくなどもってのほかです。直ちにその立場を去りなさい。

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